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平安時代とスピリチュアル

話題のNHK大河ドラマ!「光る君へ」、皆様ご覧になっていますか? 紫式部の源氏物語のドラマ版ですが、ドラマを見ていると、当時の人々がいかにスピリチュアルなことを信じていたかが感じられますね。 今日のブログ記事では、源氏物語に出てくる、というか源氏物語が書かれた平安時代、11世紀の日本で信じられていた、スピリチュアルな世界に関する言葉を解説します。

  • 陰陽師と占い
  • 物の怪
  • 方違え
  • 物忌み

陰陽師と占い

陰陽師は、古代日本の中務省の陰陽寮に所属する官職の一つでした。彼らは陰陽五行思想に基づいた技術を持ち、占いなどを担当していました。 陰陽五行思想は、古代中国から日本に伝わった、事象が陰陽と木・火・土・金・水の五行の組み合わせによって成り立つと考える思想です。 陰陽師は天文学や暦学などを担当し、国政に重要な役割を果たしました。特に平安時代には宗教色を強め、上位の官職として大きな力を持っていたので、例えば貴族が陰陽師に大金をお礼して、その貴族の都合の良い内容の宣託を出してもらう、というようなこともあったでしょうね。

もののけ

もののけとは、人間に取り付いて、病気や死、不幸や災害、社会不安をもたらすと信じられていた悪霊のこと。当時は有効な薬もなく、伝染病の流行などで死亡する人も多く、平均寿命は30代でした。平安時代には、もののけの存在は広く信じられ、恐れられていました。源氏物語にも、嫉妬に取り憑かれた源氏の年上の恋人である六条御息所が、もののけになり、源氏の若い恋人である夕顔や正妻の葵の上を呪い殺してしまう、という話が出てきます。病気や災害、社会不安に対しては、僧侶などによる加持祈祷が行われました。

方違え

方違え(かたたがえ、かたちがえ)という言葉も、源氏物語をはじめとした、平安時代を舞台にした文章やドラマには頻繁に出てきますね。方違えとは、陰陽道に基づいた風習の一つで、当時の人々は、毎日の外出や仕事、戦などの開始の際、その方向の吉凶を占い、凶と出た場合はまっすぐその方向に出かけることはしませんでした。 例えば、西に用事があっても、西が凶と出たら、一旦別の方向に出かけ、そこから改めて方角を変えるなどして、「凶」と出た方向に直接向かわないようにしていました。 源氏物語にも、源氏の正妻である葵の上の屋敷に行く予定が、方向が悪く、方違えのために向かった屋敷にいた空蝉と出会う、というシーンがあります。

物忌み

一定期間、飲食や不浄を避けること。物忌みは、「凶」の日や、何か災いがあった時、穢れに触れた時などに行われました。 平安時代には上記の「陰陽道」が広く力を持ち、人々は物忌みの日は外出を控え、来客がきても会わず、行事なども休み、一切の社交を断ち、自宅や自室に引きこもりました。 当時の貴族は、年間30日程度は、「物忌み」をしていたと言われています。また、物忌みの最中は、物忌みと書いた木札を下げ、他の厄災や悪霊にとりつかれないようにしていたそうです。

このように、病気や天災への対処が難しかった平安時代にはスピリチュアルな世界が広く信じられ、人々の心のよりどころになっていました。 源氏物語などの平安時代の物語を読むと、当時の人々が、もののけの存在などを心から信じ、恐れ、物忌みや方違えなどをしていたことと同時に、例えばどうしても仕事に出かけたくない日に方違えや物忌みを言い訳にして休んだり、方違えで向かった先で新しい女性と出会ったりするなど、現代と変わらない人間的な面が感じられます。

今から1000年以上前の習慣は、現代の目から見ると、一見非常に迷信的ですが、現代の日本人である私たちの中にも、スピリチュアルな世界は広く信じられています。 現代の日本でも占いを信じる人は数多くいますし、縁起を担いだり、風水に従ってインテリアを整えたりする人、ラッキーカラーを身に着けたりするは珍しくありません。大晦日には年越しそばを食べ、お正月には神社にお参りに行き、縁起の良いものを食べ、おみくじを引き、その結果を気にする人も多いでしょう。 スピリチュアルな世界を馬鹿にする人もいますが、科学が発達した現代であっても、私たちの思い通りにならないことはたくさんあります。 また、どんなに健康に気をつけていても病気になることや不幸な事故に遭うことがあります。21世紀の現代においても、世の中には、科学的に説明できないことはまだたくさんあります。